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映画監督・蔦哲一朗の素晴らしき映画の世界|

素晴らしき映画の世界|映画監督・蔦哲一朗のここだけの話! Vol.12

Vol.12


映画作成の途中経過を報告します。

“平和”と“復興”からは程遠い嘘まみれの前時代的なオリンピックもようやく終わり、多数のコロナ患者と多額の借金だけが残った晩夏の東京。しかしまぁ、「日本がメダル!」「日本人がメダル!」というニュースばかりを見ていると、せっかく世界中から普段お目にかかることができない凄い選手たちが集まっているのに、日本ばかりを扱う報道の偏りには辟易とする。世界へ目を向けさせるよりも、愛国心を植え付けるプロパガンダとしての役割が大きい五輪を再認識したわけだが、それも今回ばかりはさすがに不発となるのであろうか。忘れっぽい日本人も秋の選挙までは今の感情は覚えていてもらいたいものである。

そんな世の中とは関係なく、娘の成長と私の映画製作は少しずつ進んでいるわけだが、3歳になった娘は、やはり時代なのかNHKの教育テレビよりもYoutubeで英語の作品をずっと見ている。これで将来英語が喋れるようになるのなら、こんな安上がりで嬉しいことはないが、最近はせっかく英語で覚えていた色や動物も日本語に変わってきているので、このまま日本語に全支配される日も遠くはないだろう。結局は親の英語能力に限界があるので、もともと無謀な挑戦であったかとすでに諦めムードである。

鉱 ARAGANE

    撮影場所の休耕田。田んぼになる前の様子

映画の方は前回のコラムでもお伝えした“カリコ牛”をテーマにした次回作の話をひとまずしよう。この2年間くらい茅葺屋根の家と田んぼがある“ザ・日本の原風景”といえるロケ地を求めて徳島県内を探し回っていたのだが、時代設定が明治ということもあり、現代的な建物や電柱などが大きな壁として立ちはだかっていた。そこで、気持ちを切り替えて、既存の家を借りるのではなく、映画らしく美術セットで作ってしまえ!という方向に舵をきり、50年以上休耕田となっていた黒沢湿原の田んぼを復活させ、その脇に茅葺き屋根のロケセットを建てることにしたのである。

地元の方の協力で田起こし

馬の力も借りて代掻き

5月、まず始めに、三好市と地元の方々のお力をお借りして、葦の根をトラクターで掘り起こして田起こしをすることになった。しかしその場所も、もともとは湿原だったため、トラクターが深みに入り込んでしまい、自力では出られなくなってしまったのである。結局、早々と水を入れて小型耕運機を手で押しながら、1.5反ほどの荒れ地の土をコツコツと混ぜることになったのだが、深い所で1メートルはある田んぼのため、この作業は難航した。「祖谷物語」以降プクプクと肥えていた私は、案の定まったく使い物にならず、地元のOさんがそのほとんどを耕し、代掻きしてくれたのである。

    田植えだよ!全員集合!

6月、田植えには、映画のスタッフと地元の同級生や知人など合わせて15名ほどが集まってくれた。田植え経験のない私は、地元の皆さんに教わり、一つ一つ丁寧に苗を植えていったが、腰まで埋まる深い田んぼは、移動することさえままならない。ここで田んぼをしていた昔の人たちには感嘆するが、こんな場所でも作らざるをえない事情もきっとあったのだろう。ただ、この深い田んぼは、映画的には大変魅力的に感じることが多く、来年この場所に俳優さんたちが入ってドロドロになりながら撮影する画をイメージするとワクワクしてくる。今回アメリカから参加しているプロデューサーのエリックも、日本の稲作を体験できて楽しんでもらえたようだ。

プロデューサーのエリックさんも参加

人生初のガチ田植え

というのも今回のこの映画は、アメリカ、台湾との合作になる。“カリコ牛”というテーマではあるが、徳島・香川だけではなく、台湾での撮影も予定しており、日本と台湾の繋がりを再確認できるキッカケになれればと考えている。アメリカは、ロケ地としてではなく、資金面や撮影後の編集などのポスプロといった作業の援助で今回参加してくれている。私が作る非商業の映画は製作費を日本だけで集めるのがなかなか難しいので、このように世界で仲間を集めながら製作していかなければならない。今までの日本映画業界は先人たちの恩恵もあり国内のマーケットが大きく、日本人にさえ向けて作っておけば商売として成立していたが、これから迎えるであろう経済の低迷と日本人の感性の画一化によって、その限界は近づいているように感じる。これからはオリンピックと同じく、自国のメダル数だけを気にするのではなく、世界へ関心を広げ、世界基準で物事を考えられるようにならなければならない、と自戒の念を込めて、次回につづくのである。(最後ダジャレです。)

    鹿さんの襲撃でロープをはる